第三番 啓蟄(けいちつ)


第三番 啓蟄(けいちつ)

土がゆるみ、生きものが目覚めるとき
大地の眠りがゆっくりとほどけてゆくころ


ひと雨ごとに、やわらかな陽気が差し込む頃。

それまでひっそりと静まりかえっていた大地の奥から
ふと、小さな音が聞こえてくるような気がします。


「啓蟄」とは、土の中で冬ごもりをしていた虫たちが
春のぬくもりに誘われて目を覚まし、動きはじめるという意味。

芽吹いた若草の先で揺れる小さな羽音。
木々の枝先を飛び交う虫たちの影。
自然の中で、命のリズムがまた一つ動き出します。

冬の間じっと眠っていたいのちは、
少しずつ春の光をまといながら
まるで目をこすりながら外へ出てくるように、
静かに活動を始めるのです。


それは、自然からの「そろそろ動き出してもいいよ」という合図。
人の暮らしにとっても、そんな“春のはじまりの目覚まし”のような節気です。  



目次- table of contents-

1.【啓蟄】とは

啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の第三番目。
例年、3月5日ごろにあたります。


「啓」は“ひらく”、“蟄”は“冬ごもりしていた虫”という意味。
つまり、「土の中でじっと冬を越していた虫たちが、春の訪れを感じて動き出す頃」をあらわします。
自然界のあちこちで、眠っていた命がそっと動き出す節気。


前節気、【雨水】では、地の底の水が動きはじめ、
今節気の【啓蟄】では、私たちの足元へと季節が近づいてきました。


昔はこのころ、雷が鳴って大地を揺らし、虫たちを起こすと信じられていました。
「虫出しの雷」とも呼ばれ、目には見えない自然の力が働きかける季節だったのです。


2.啓蟄の【ならわし】


季節の変わり目に、暮らしを見つめ直す

「節句」や「節気」は、単に年中行事として過ごすだけでなく、
家族や自分自身の体をいたわり、心の節目をつけるタイミングでもあります。

例えば、雛人形の飾り始めやお祝い。そして片付け。
あるいは、虫出しや掃除、衣類の入れ替えや食卓の春支度──

そうしたことを“この日、この時期に”と決めておくことは、
自然と調和しながら生きてきた日本の暮らし方そのもの。

【習わしの日】として心に刻み、繰り返すことで、季節に寄り添う感覚が少しずつ磨かれていくのかもしれません。

昔から続くならわしのひとつひとつには、
自然を敬い、家族を大切に思い、暮らしを丁寧に整えていこうとする、
静かな祈りとあたたかい知恵が息づいています。


菰はずし──冬の終わりを告げる、春の手入れ

啓蟄の頃、松の木に巻かれていた藁の「菰(こも)」を外す風景が見られるようになります。
この「菰はずし」は、冬の間に木の幹を守っていた菰を取り外すとともに、菰の中に越冬していた害虫を取り除くための、古くから伝わる風習です。


もともと「菰巻き」は、初冬の風物詩。江戸時代から行われてきたもので、マツカレハやマツクイムシといった松の害虫が寒さを避けて菰に集まる性質を利用し、春先にそれらを駆除するという、自然の営みに寄り添った防除の知恵でもありました。

近年では、「実は益虫ばかりが集まってしまう」という研究結果から、防除効果としては見直されつつあるものの、 霜よけや雪から幹を守るための菰巻きは今も行われており、「冬の松並木の装い」として愛され続けています。

そして、菰を外すこの啓蟄の時期は、寒さがやわらぎ、自然が動き出す合図でもあります。
外された菰とともに、木々も人も春の衣をまとい始める──
「菰はずし」は、植物の目覚めを促しながら、私たちの暮らしにそっと季節の移ろいを知らせてくれる、静かな春のならわしです。

ひな人形の片付け──節句の終わりを告げる目安

雛人形をいつ片付けるかは地域によって異なりますが、「啓蟄にしまう」というならわしも伝えられています。
これは、三月三日の桃の節句が過ぎ、春の節目がひとつ巡ったことをあらわす区切りの日。





雛人形は、子どもの健やかな成長を願うとともに、災厄を引き受けてくれる守りびとのような存在。
飾ることも、しまうことも、心をこめて行うことが大切とされてきました。

「早く片付けないと婚期が遅れる」といった俗信もありますが、
本来は「丁寧に暮らしを整える」ことへの戒めであり、日々の節目を意識するための知恵といえるでしょう。

修二会(しゅにえ)─奈良に春を呼ぶ、祈りの炎

啓蟄のころ、奈良の東大寺二月堂では、春を告げる法会「修二会(しゅにえ)」が行われます。
毎年3月1日から14日まで続くこの行は、過ぎ去った旧年の罪やけがれを悔い改め、国家の安寧と五穀豊穣を祈る「悔過(けか)」の法要です。



選ばれた11人の僧侶「練行衆(れんぎょうしゅう)」が十一面観音に祈りを捧げ、私たちに代わって罪を懺悔するという荘厳な行。その道明かりとして、夜ごと二月堂の舞台を照らすのが、大きな松明の炎です。

中でも3月12日の深夜、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまに供える「お香水(おこうずい)」を汲む神秘的な儀式「お水取り」は、修二会のクライマックス。
この日を境に、春が本格的にやってくる──そう信じられてきたことから、「お水取りが終わると春が来る」ともいわれています。

舞い上がる火の粉を浴びると福が訪れるという言い伝えもあり、松明の火を目当てに訪れる人々の思いもまた、春を迎える祈りとなって燃えあがります。
1270年以上にわたり、一度も絶えることなく営まれてきたこの祈りの営みは、春のならわしとして、今も静かに私たちの心に火を灯しています。

春の耕作始め──動き出す田畑と人の手

啓蟄の頃、大地があたたまりはじめるのにあわせて、農作業が少しずつ本格化していきます。
鍬を入れ、土を起こし、種まきの準備をする──その一歩が、豊かな実りの季節へとつながっていきます。

「虫も動き出す」この季節は、命のサイクルが動き始めるとき。
自然と共に歩んできた人々にとっては、まさに「暮らしを耕す」節目だったのです。神社などで五穀豊穣を祈る「祈年祭(きねんさい)」も、この頃に行われることが多く、
田の神、山の神に捧げる祈りが、目覚める季節の始まりを静かに彩ってきました。

ホワイト・デー──贈り物に想いを重ねる、お返しの習わし

啓蟄のころ、季節は少しずつやわらぎ、心もふんわりとほどけるような空気が漂いはじめます。
そんな時期にあたる3月14日は「ホワイトデー」。
バレンタインデーにチョコレートや想いを受け取った人が、その気持ちに感謝をこめて、何かしらのお返しをする日として親しまれています。

このホワイトデー、実は日本で生まれた習わしです。
お菓子業界の提案をきっかけに広まったとされ、「いただいたら、お返しをする」という、日本の丁寧な心遣いが背景にあります。
それは、内祝い香典や香典返しなどにも見られるように、贈り物に対してきちんと感謝を伝えるという、日本人らしい美意識の表れでもあります。

ホワイトデーには、キャンディやクッキー、マシュマロといったお菓子だけでなく、日頃の感謝の気持ちを込めた小さな贈り物や、言葉でのお礼も選ばれています。
最近では、男女を問わず、バレンタインデーに心を寄せてくれた人や、いつも支えてくれる人への「感謝返し」の日として、広く親しまれるようになってきました。



卒業— 春の別れ、旅立ちのとき

春雷が地を揺らし、冬籠りしていた虫たちが土の下から顔を出す啓蟄のころ。
自然の目覚めと歩調を合わせるように、校庭では卒業式の準備が静かに進められています。

桜にはまだ早いけれど、校舎の片隅に春を待つ沈丁花や梅の香りが漂いはじめると、
別れと旅立ちの季節がやってきたことを感じます。
卒業式は、人生の節目を静かに祝うならわし。
それは、儀式であり、通過儀礼であり、
子どもたちがひとつ大人の階段をのぼる、あたたかな祈りの時間です。

在校生と卒業生が向き合って交わす別れの言葉や、
「仰げば尊し」「旅立ちの日に」といった歌の旋律は、
過ぎてきた日々への感謝と、これから始まる未来への希望を織り込んでいます。

袴姿の卒業生、校庭に残された足跡、名残を惜しむような夕暮れの光——
それらは、やがて大人になったときにふと思い出す、
ひとつの季節の風景として心に残るのでしょう。この時期は、たくさんの「おめでとう」と「ありがとう」が飛び交う季節。

けれど同時に、去りがたさや一抹の寂しさも胸に宿る、
春の「別れ」のならわしでもあるのです。

啓蟄の【七十二候】

雨水のころの「七十二候」をご紹介します。

雪解けと共にじんわりと動きだす大地。
季節が変わり始めたのを感じるのは、まずは水の流れから。

初侯第7候 蟄虫啓戸すごもりむしとをひらく

冬眠していた生き物が、春の日差しを求めて土から出てくる頃



春の陽射しがほんのりとあたたかくなり、大地の気配がやわらいでくる頃。長い冬のあいだ、土の奥深くでじっと息をひそめていた虫たちが、もぞもぞと動きはじめます。七十二候の「蟄虫啓戸(すごもりむし とをひらく)」は、そんな小さな命たちが、春の気配に誘われて、再び地上へと姿を現す季節です。

次侯第八候 桃始笑もも はじめて わらう

冬の間、かたく凍りついていた大地が、ほんのりとやわらぎはじめる季節。



空から舞い降りていた雪は、いつしか静かな春の雨へと姿を変え、その雫は土の奥深くまで沁みこんでいきます。
「土脉潤起(つちのしょう うるおいおこる)」とは、降り注いだ雨が土地に潤いを与え、再び動き出す頃をあらわした言葉です。大地の“脉(みゃく)”が動き出すころ。

末侯菜虫化蝶なむしちょうとなる

冬の間、かたく凍りついていた大地が、ほんのりとやわらぎはじめる季節。



空から舞い降りていた雪は、いつしか静かな春の雨へと姿を変え、その雫は土の奥深くまで沁みこんでいきます。
「土脉潤起(つちのしょう うるおいおこる)」とは、降り注いだ雨が土地に潤いを与え、再び動き出す頃をあらわした言葉です。大地の“脉(みゃく)”が動き出すころ。

季の台所|啓蟄のころの旬の食材

ちょうど「冬の名残」と「春の走り」が同居する季節。食卓にも春らしい彩りが増えてきます。

魚介類
鰆(さわら)、鯛、あさり、はまぐり
→ 特に「はまぐり」はひな祭りにも欠かせない食材で、啓蟄のころと重なります。

山菜類
ふきのとう、菜の花、うど、タラの芽、ぜんまい、つくしなど
→ 春の苦味は、冬の間に溜めこんだ老廃物を流す働きがあるとされます。

野菜・葉物
ほうれん草、春キャベツ、新玉ねぎ、アスパラガス
→ やわらかく甘みが増してくる時期。

果物
いちご、デコポン、文旦
→ 春の訪れを感じさせる甘酸っぱさ。

春の兆しがほころびはじめる雨水の頃は、山や畑からも、冬の静けさを破るように、やわらかな芽吹きが顔をのぞかせます。この時季は、寒さの中で甘みをたたえた冬野菜が名残を見せる一方で、春を告げる野菜や山菜が少しずつ食卓へと上がってきます。

啓蟄の【文学・音楽作品】

「啓」はひらく、「蟄」は冬ごもりする虫。
つまり「地中で冬眠していた虫たちが、春の陽気に誘われて動き出す」という意味を持ちます。

そのため、啓蟄の頃には以下のような情景が印象的です

  • 土の匂い(春の気配)
  • うごめき/芽吹き/命の目覚め
  • 三寒四温の揺れ動く気候
  • 卒業、別れ、はじまりの予感

そうした「動き始める」「初々しい目覚め」の感覚が現れる文学や音楽作品が多く見られます。

表現と巡る-季節の情景-

にっぽんの季色

啓蟄に関連する様々な読みもの・コラム

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