
桜の花がほころびはじめる頃
春の陽ざしが日に日にやわらかさを増し、風の中にもどこか甘やかな香りが混じるようになる頃。
ふと木々を見上げると、裸だった枝先に淡い紅色の気配が宿りはじめます。
「桜始開(さくらはじめてひらく)」は、文字どおり、桜の花が開きはじめる季節をあらわす七十二候のひとつ。
うららかな春の陽気に誘われるように、つぼみは少しずつ膨らみ、やがてそっと、やわらかく花びらを開きます。
その一輪が開くと、まるで合図を受け取ったかのように、次々と花が咲きはじめ、景色は一瞬にしてやさしい色に染まってゆきます。
桜は、日本の春を象徴する花。
けれどその命ははかなく、だからこそ咲き始めの一瞬には、どこか特別な美しさと静けさが宿っています。
まだ寒さが残る風のなか、桜の開花を見つけたときの、胸の奥がふっとほどけるような感覚。
それはきっと、私たちのなかにある「春を待つ心」が、そっと目を覚ます合図なのかもしれません。
あちらこちらから届く「桜が咲きました」の便りに、心がやわらかくなっていくこの季節。
忙しない日々のなかにも、ほんのひととき、足をとめて桜の枝先を見上げてみてください。
そこに咲く花は、過ぎゆく季節の美しさと、訪れた春のやさしさを、静かに語りかけてくれるはずです。
そして、
やがて、咲きそろう桜のもとに、そっと人が集まりはじめます。
やさしい春風に誘われて、誰かがふと足をとめ、見上げ、微笑み、語らい、静かにまた歩き出す——。
それは、千年を超えて続く、日本人の春のたしなみ、「花見」の風景です。
桜の花を愛でる習わしは、平安時代の宮中行事にそのはじまりがあります。
当初は、梅の花こそが尊ばれていましたが、やがて日本の野山に咲く桜の清らかな美しさが人々の心をとらえ、花といえば「桜」を指すようになりました。
貴族たちは、花の下に几帳や御簾をしつらえ、和歌を詠み、酒宴を楽しみました。
やがてその風習は武家や庶民へと広がり、江戸時代には将軍・徳川吉宗による桜の植樹政策によって、上野や飛鳥山といった名所が生まれ、多くの人が桜を眺めに出かけるようになったのです。
なぜ、人は桜の花を見上げるのでしょうか。
それはきっと、桜がほんの短い間しか咲かない花だから。
その潔さ、はかなさのなかに、人の心は、なにか大切なものを重ねてきたのかもしれません。
満開の桜に感じるのは、ただの喜びや賑わいだけではなく、うつろう時の中にある静かな感動。
春という一瞬の輝きを、心に刻もうとする、祈りにも似たまなざしです。
だからこそ私たちは、桜の咲く季節にそっと足を運び、ただそこに咲く花を見上げるのでしょう。
それは、過去の誰かと、いまの自分と、そしてこれからを生きる人たちとを結ぶ、静かな春の約束のようにも感じられます。桜のもとに集うこと。
それは花を愛でるだけでなく、時を、記憶を、そして心をそっと通わせる、春ならではの美しい風習なのです。
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