
季色の記憶
にっぽんの色に、心がふれるとき。
季節のうつろいは、色のうつろい。
風が和らぐころ、空気にやさしい白がまざると、私は決まってある色を思い出します。
子どものころから、私は景色の色が好きでした。
絵の具のでは表せない、やわらかな白、深く沈む青、ほんの少し黄を帯びた赤。
そのどれもが、季節のなかに溶け込むようにして、私の目の前に現れてきたのです。
この連載「日本の季色」では、日本の伝統色をひとつずつ取り上げながら
私の中に根づいている、季節と色の記憶をたどっていこうと思います。
これは、季節の色をめぐる、ささやかな物語。

第一話 白練
はじまりの白
静かな光をたたえる春の朝に。
立春。
一年のはじまりを告げるこの節気に、空気はまだ冷たく、けれど日差しの質がふと変わったことに気づく。冬の白とは異なる、やわらかな光が差し込むと、景色の中にほのかな「白」が立ち上がってくる。
それは、朝もやに包まれた田畑かもしれないし、
霜がとけたばかりの畔道かもしれない。
冷えた空気がほどけ、ひと筋のやわらかな光が落ちる、そのとき現れる白。
そこにただよう白。
「肌理(きめ)」のような繊細さや、柔らかさを感じたとき、
私は「白練」という名を思い出す。
白は、色の中で最も身近でありながら、最も距離のある色かもしれない。
けれど「白練」と聞くと、「練る」という言葉にあるように、丁寧に、何度も、白を育て、仕立てられた白を想像する。
私は決まって、自分の部屋の白いベッドカバーを思い出した。
春はふっくらとしたコットン。
夏にはひんやりとしたリネン。
秋は二重ガーゼ、冬はウールの混じった厚手のものを。
素材を選ぶ愉しみは、「白」という色をもっとも美しく見せてくれる舞台のようなものだ。
素材の表情を引き立てるために、柄はつけない。
漂白されたような白ではなく、どこかやわらかな白。
——白を練る。
確かに、白練は素材を表す白だった。
鍛錬された白。
白練は、絹の白。
蚕の繭から取り出した生糸を、丹念に練ってやわらかくし、さらに漂白して仕上げた白練絹(しろねりぎぬ)の色に由来する。純白でありながら、決して無機質ではない。
ふわりと繊維の層をまとったような、
わずかな温度と光沢をもつ、静かな白。
古代から神聖な色とされ、装束や祭礼に用いられたのも、どこか潔く、そして柔和な印象を持つからだろう。
立春の空気にこの白練の気配を重ねると、自然と心が澄んでいく気がする。
冬の白が「閉じた白」ならば、立春の白練は「開く白」。
季節が密かに変わりはじめ、土の下では春の芽吹きが待機し、陽の気が少しずつ満ちていくその気配を、まっさらな白練の色がそっと包んでいるように思える。
たとえ蚕がまだ春を待って静かに休んでいる季節でも、
その繭の記憶が宿した絹の白は、立春の空気の中に確かにある。
「生まれるための静けさ」
白練は、そんな立春にふさわしい白なのかもしれない。
まだ肌寒い空気の中に、春の兆しが混じり始め、
日差しがふと白っぽく、眩しく感じられる季節。
たとえば、霜柱が溶けはじめた畑の地面の色。
朝日がうっすらとかすめていく田んぼの水面。
陽ざしを受けてほころびかけた梅の蕾の裏側。
それらがふと見せる淡くにじむような白に、私は「白練」の気配を感じる。
新しい季節がすぐそこにあるのに、まだ冬の名残が部屋に残っている——
そんな中で、私は再び、白いリネンのカバーを出した。白いシャツの色を。
そしてお気に入りの絹の入ったワンピース。
そういえば、幼い頃、水彩画を描く時、白の絵具にはほとんど触れなかったことを思い出した。
絵の具の中の白は、混色すると濁ってしまう。
白が何も塗らないことではなく、「残す」という選択だと知っている。
白とは、何かを選ばない強さ。
そして、色が入り込む前の静けさ。
暮らしのなかの白は、そうして、日々の空間や感情の余白を作ってくれる。
春の訪れに、色よりも先に光がある。
その光を迎えるのにちょうどいい。
それは、冬の終わりではない。
春のはじまりの一歩手前――まだ透明な、けれど確かに息づきはじめている世界の色。
その色はまるで、繭の中で静かに変化を始める糸のように、
静かに、静かに春を織り始めているように見えるのだ。


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